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Passengers(パッセンジャー)

★★★★
2016年
128分
ネットで視聴

原題:Passengers
邦題:パッセンジャー
制作:米
監督:モルテン・ティルドゥム
出演
 ジェニファー・ローレンス
 クリス・プラット

男と女の愛情関係では、男がアプローチし、女が受ける形になる。
そうなるように女がしかけることもあるので100%男の意思とはいえないが、外形上はそれがふつうだ。

ふたりの愛情が、たとえば結婚という形で結実するまでには、精神的、肉体的、経済的・社会的なさまざまなレベルで関係が進行する。
うまくいく場合はいいが、うまくいかないことも、もちろん多い。

男が真剣になった場合には、相手の拒絶にあってもそう簡単に諦められない。世間知らずや経験不足がそれに輪をかけると、容易にストーカーに転落してしまう。男から女へという基本構造があるのでそうなりがちなのだ。男が女を好きになるときには、相手の拒絶とともに、自分がそうなるリスクも覚悟しなければならない。その覚悟がなければ、人を好きになる資格はないともいえる。

女からすれば、好きでもない男に言い寄られるとは迷惑千万な話で、そういう性向のある人間は、犯罪者予備軍としてすべて法律で取り締まってほしいかもしれないが、そうすると男は、とくに若い男は、すべて該当してしまい、残るのは経験を積んだ手練手管に富んだ男か、女性に関心を失った老人か、臆病な妻帯者、オシメのまだ取れていない子供だけになってしまう。それは女にとっても好ましい事態ではないだろう。

男女平等なのだから、男のアプローチがなくても、好きになった方から言えばいいのではないかという論は抽象論で、実際はそうはいかない。そういう例もあるにはあるが例外である。基本構造はそうなっていなくて、やぱり男は女を追いかけるものだし、女は男に追いかけさせてこそ真価を発揮する。

そういう基本構造のもとで、男の過激な愛情の表現を、女はどこまで許すことができるのか。それがこの映画のテーマである、

男による人生の略奪を、女は奪われたと感じるのか、それとも、愛情の絶対的な表現と考えるのか。男が身勝手なのはいうまでもない。そういう男を、自分を最も愛してくれる唯一の人間として受け取ることができるのか、最悪の敵と思うのか。

男が女を好きになる時には、一方的な関係からはじまる。
じつは、この映画と同じ構造で進むのである。
男にはよくわかる話なのだが、現代の女性の眼から見て、この映画はどう映るのだろう。

(ちなみにこの映画の主人公とヒロインの立場を入れ替えてみると、男女の違いがよく分かる。目が覚めたら横に見知らぬ女がいて、じっとこちら見ているというシチュエーションは、相手が絶世の美女だとしても、実は恐怖でしかない。男から女の場合はラブ・ロマンスが出来上がるが、逆の場合はスティーブン・キングの「ミザリー」にあるようなホラー映画しかできないのである。ああ怖い。)



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