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白き瓶 ~小説 長塚 節~

藤沢 周平
文藝春秋社
文春文庫
p612


長塚節(たかし)といえば「土」。
名前と作品名は、学校の教科書で習ったことがあるが、これまで関心を持ったこともなく、藤沢周平を読んでいなければ、まさか伝記を読むこともなかったはずの作家である。

長塚節が正岡子規の弟子で、歌人であったということも本書を読んではじめて知った。

作者が得意とする時代小説とちがって、あざやかなストーリーの展開はなく、綿密な資料の調査に基づき、やや鈍重と思えるほど、地道な作品となっている。こちらが和歌を鑑賞する能力を持たないでの、作中に引用される多くの長塚節の作品の出来具合や上達具合もよくは伝わってこない。それでも最後まで興味深く、一気通貫で読ませる。

語り口も時代背景も島崎藤村の「夜明け前」を思わせるが、こうした重厚で地味な作品を、読者に飽きさせず読ませるのは、ひとえに作者の文章の力なのではないかと思う。

ところで、長塚節は晩年(といっても37歳で早逝しているので、まだ若いのだが)、九州各地を旅しており、そのなかでも福岡の寺社についてこう感じていたという。

「福岡周辺の古蹟は、古く由緒あることでは機内の旧蹟に負けないものだった。そして筑紫野を中心に散在する古刹観世音寺、東光院、朝倉の寺寺の仏像は、節の予想を越えてすばらしいものだったのである。感動が瑞端しいのは、構えたところのない筑紫野の自然の中に、あるいは観世音寺の巨大立像のように、あるいは南淋寺の秘仏のように、豪放に、また緻密に光彩を放つ仏像が、格別ひとに騒がれることもなく無造作な形で存在していることに、京都、奈良の仏像から受ける印象とは異なる、一種の野性味のようなものを感じるせいかもしれなかった。だから節は、伊藤佐千夫にあてた五月十四日附けの絵葉書に、「いよいよかへりとなれば奈良へよるが、観世音寺の仏像をよく見ておいて、奈良を見たらどう見えるだらうと楽しみにして居る」と書いたのである。」(p402-403)

福岡には寺社の観光名所が多いということは聞いたことがあったが、そこまで素晴らしいものだとは知らなかった。
機会があれば見に行ってみようと思う。



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