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地下室の手記

ドストエフスキー
江川 卓=訳
新潮社
新潮文庫
p259


「地下室の手記」を読むのはこれで6回目。
そのうち3回が江川卓訳で、やはりこの人の訳がもっとも良い。
日本語がしっかりしていて、しかもドストエフスキーの原文を(たぶん)精確に反映している。

この人の文章は、とてもしっくりくるのだが、若い頃から読んでいて、私自身の文章もこの人の翻訳文に影響を受けているような気がする。

前に、「ここに描かれたのは、写真でいえばネガの姿で、ネガをネガとして浮かび上がらせるためにはポジの世界が必要ではないだろうか。その視点があるからこそ、ドストエフスキーはここまで精確にネガの世界を描き出すことができたのではないだろうか。」と書いたけれども、今度読んでも、やはりそう思う。

「ドストエフスキーは、自分の主人公の状態を人間全体として考えて正しいものとはみなしていない。彼は主人公を苦しめ、軽蔑している。」(p257 解説)というシクロフスキーの評はその通りだ。そしてドストエフスキーがここまでリアルに現代の人間を描き出せたのは、かれ自身は「地下室」ではなく、その外にいるからだ。だからこそ「地下室」の世界を徹底的に描き出すことができた。

「というのも、ぼくらはすべて、多少とも生活からかけ離れ、跛行状態でいるからだ。そのかけ離れ方があまりにはなはだしいので、ときには真の《生きた生活》に対してある種の嫌悪を感ずるまでになっている。そこで、その《生きた生活》のことを思い出させられるのが耐えられないほどにもなっているのである。とにかくぼくらは、真の《生きた生活》を、ほとんど労役かお勤めとみなすまでになっていて、それぞれ腹のなかでは、書物式の方がよほどましだとさえ思っているのだ」(p244-245)

かれの居る場所からは「真の《生きた生活》」が見える。
ただし、「真の《生きた生活》」は、ここでは、まだ、ネガの裏返しでしか、あらわされていない。
たいていの小説は、それを裏返しでしか表現できないものだ。
ドストエフスキーのこれから以降のテーマは、その姿をいかにしてポジティブに、肯定を肯定として現そうとする努力ではなかったか。

このエントリーのタグ: ドストエフスキー
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