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白夜 センチメンタルな小説(ある夢想家の思い出より)

ドストエフスキー
井桁貞義=訳
講談社
講談社文芸文庫
p101―222


ドストエフスキーの第11作。
1848年 27歳。

白夜のペテルブルグで繰り広げられる清新なロマンス。
青年の恋愛は、こうでなくてはね。
美しい中編。
佳品です。

25年ぐらい前に米川正夫訳で読んだ「白夜」は、冒頭が素晴らしかった。
それに較べると、この講談社文芸文庫版は、イマイチのような気がする。

たまたま手元に3つの訳があるので、較べてみた。

(米川正夫=訳)

素晴らしい夜であった。それは、親愛なる読者諸君よ、われらが若き日にのみあり得るような夜だったのである。空には一面に星屑がこぼれて、その明るいことといったら、それを振り仰いだ人は、思わずこう自問しないではいられないほどである──いったいこういう空の下にいろいろな怒りっぽい人や、気まぐれな人間どもが住むことができるのだろうか? これは親愛なる読者諸君よ、青くさい疑問である、ひどく青くさいものではあるが、わたしは神がしばしばこの疑問を諸君の心に呼び醒ますように希望する!……


うん。やっぱりいいな。

(筑摩書房 小沼文彦=訳)
すばらしい夜であった。それは、愛する読者諸君よ、まさにわれわれが青春の日にのみありうるような夜であった。いちめんに星をちりばめた、明るい星空は、それを振り仰ぐと思わず自分の胸にこんな疑問を投げかけずにはいられないほどだった――こんな美しい空の下に、さまざまな怒りっぽい人や、気紛れな人間が果たして住んでいられるものだろうか? これもやはり、愛する読者諸君よ、幼稚な、きわめて幼稚な疑問である。しかし私は神が諸君の胸にこうした疑問をよりしばしば喚起することを希望する!……(筑摩書房 ドストエフスキー全集第2巻 p49)

(講談社文庫 井桁貞義=訳)
まったく奇跡のような夜だった、親愛なる読者よ。
青春時代にのみ訪れるような、そんな夜だった。
星はきらきらとまたたき、空全体は明るく輝き、ほら、こんな空を見上げていると、思わず知らず、心に問いが浮かんでくる。このような素敵な空の下でもやっぱり、怒りっぽい人、気まぐれな人、わがままな人たちが、生きているなんてことが、いったいありうるだろうか。
そう、これがいかにも若者らしい問いだということは僕にも分かっている、親愛なる読者よ。たしかにいかにも若者らしい問いではあるけれど、神様があなたの心に、この問いかけを送ってくださる機会が多からんことを!……(p103)


こうして実際に較べてみるとずいぶん違うものである。
米川訳も、小沼訳もテンションが高い。青春の切なさを感じさせるところがある。

井桁訳は、あまりテンションは高くない。
どこか歌謡曲風だな。あるいは、70年代フォークの歌詞かな。

なんとそれぞれサブタイトルも違っていて、
米川訳 「白夜  感傷的ロマン ―ある空想家の追想より―」
小沼訳 「白夜  感傷的ロマン ―ある夢想家の思い出より―」
井桁訳 「白夜  センチメンタルな小説(ある夢想家の思い出より)」
となっている。

米川訳は1970年前後、小沼訳はおそらく1980年代の訳で、井桁訳は2010年の新訳である。
井桁氏は訳者あとがきで、ドストエフスキーの翻訳の底本は、2003年からロシアで出版されている新全集を使用しないと作者の原文と感覚がずれてしまうと指摘されているが、それ以前に、いろいろ問題がありそうな気がする。

いずれにしろ、私にとっては米川訳のほうが好ましかったという話。
小沼訳もなかなか良いと思う。

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