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フランクル回想録 20世紀を生きて

V.E.フランクル
山田 邦夫=訳
春秋社
p216


本書は、著者が92歳で亡くなる数年前に、幼少期からを振り返った記録。

著者が強制収容所の体験を描いた「夜の霧」は世界的に有名な一冊で、私も35年前に読んだ。

内容はもちろんだが、最後の写真集があまりに恐ろしすぎて、以後読もうという気がおこらない。

著者はロゴセラピ―理論の創始者として、精神分析の大家としても有名である。

内容は平易で読みやすい。

その思想的遍歴を語っているが、著者は15、6歳の頃、二つの基本的考えを抱いていたという。

「まず第一に、そもそもわれわれが人生の意味を問うべきなのではなく、われわれ自身が問われているものであり、人生がわれわれに出した問いに答えなければならない。」

「もう一つの基本的考えは、究極的な(人生の)意味がわれわれの理解力を超えていること、いや超えていなければならないということである。一言でいえば、私が”超意味”と呼んでいるものが問題なのである。……超意味に関しては、われわれはただそれを信じることしかできず、またそれを信じざるをえないのである。そして、たとえ無意識であっても、人は誰でもそれをとっくに信じているのである。」(p68-69)


われわれは問うのではなく、問われる存在であり、応答責任があるという考え方は、滝沢克己の本に繰り返し出てくるテーマである。

問うのではなく、問われる存在であるというのは、通常とはまったく逆の考え方である。
だが、そのことがなんとなく頭で分かるのと、真に理解するのとでは大違いだ。

同じく10代の頃、著者は、こんな経験をしたという。

「避暑でエファーディングに出かけられるようになって、蒸気船でドナウ川を遡っていたある日、真夜中にデッキに横たわって「わが上なる星の輝く空」と「わが内なる調整原理」を(カントよろしく)眺めていた時、私は「ああ、そうか」とひざを打つ「アハー体験」をした。涅槃とは、「内側から見られた」熱死なのだ、と。(p51)

「アハー体験」とは、心理学用語で,「ああそうだったか体験」とも言い、

「精神医学では、分析医のおこなう解釈が引き金となって、患者が「ああそうだったか」という感情的安堵と多幸感にも似た安心感を体験する場合に、この言葉を用いる。」(p51)

著者のアハー体験は、先の二つの基本的考えと密接に結びついているはずである。

そのような体験があってこそ、からだの向きが変わるような、真の理解に到達したといえるのだろう。





このエントリーのタグ: フランクル 滝沢克己
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