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葉山嘉樹集-26 ⑰子を護る(3)

この作品は二月、戦争が始まる前に書かれた。
当然、開戦の熱気はないが、社会的情況はほぼ同様だったと考えていいだろう。
この作品をどう読むべきか。

前年、作者が家族とともに移り住んだ長野県山口村についての印象はこうである。

私は今まで多くの町々、村々を経て来たが、この山口村のやうな、純日本犬に見るやうな、又名利を超越した果てた、高僧の心境にも似た村を見るのは最初だった。
(p422)

この村に生まれた子等が、生まれながらにして持ってゐる、勤労尊重、遊惰排撃の気風は、この村に生まれない者にとっては、無声の圧迫となってのしかかって来た。そこには何等の仮借もなかった。

私は冷酷に観察を始めた。甘やかされた生活に、労働能力の落ちてゐる私自身を、鞭ち始めた。そして、私は観察し、批判してゐる村人の眼に、私も亦、一人前の勤労民として、待遇されることを心から望んだのだった。
「何と云ふ素晴らしい村だらう」
と、私は鍬の柄で村の人に頭を殴りつけられたやうな圧迫感の下から、賛嘆の声を放ったのだった。
――この村人の精神には非常に高潔なものがある。名利、栄達、などを超えた農民の純粋な魂とも云ふべきものがある。それを具体的な姿で捕へて見よう。それを描き、それを発表することが、たった一つ自分に残された作家の道である――
 と、私は考えたのであった。
(p422)

日本は近衛第二次内閣にあって新体制へ邁進してゐるのだった、これに応へる為には、私は私自身をとっちめるに限る、と思った。
私はどの村の人にも頭を下げてお辞儀をした。それはかう云う挨拶の代りだったのである。
「狭い山里の、苦しいあなたたちの労働の生活に割り込んで、あなたたちの作った米を頒けて貰ひ、焼いた炭を頒けて貰ひ、作った野菜を分けて貰って相済みません。あなたたちなしには、私一家の生活は一日も一刻も成り立たない、と云ふことをつくづく感謝するのです。
(p423)

出征兵を送ったりするやうな、あらゆる機会に、私が一体本来何であるか、と云ふことを考へるのだった。どのやうな人間も任務を持たなければならない時なのに、私の任務は何と云ふ情けない任務だっただらう。いやそれが成し遂げられて、人々に読まれ、人の荒み行く心を和ませ、絶望に沈まうとするものを奮ひ立たせるならば、大きな仕事でもあらう。だが、それが出来るであらうか。それが出来るためには私自身の身も魂も変わらねばいけない事なのだった。
(p428)

魂を入れかへると云ふことは、作家にとっては縄で縛った柵を飛び越すやうに、簡単には行かないことなのだ。ぺちゃくちゃ喋舌ったり、うろうろしたりするよりも、「新体制」に応ずるものを書けばいゝのだ。それも、そば屋の出前持が寒い事だからとて「もり」を「かけ」にわざと間違へて持ち込んだやうなやり方ではいけないのだ。芯からでないといけないのだ。
(p433)


もうやめよう。
これはラーゲリの文章である。強制収容所の中の反省文である。文章が達者であるだけに余計に始末が悪い。これは逆向きのプロパガンダである。

作者はここに至って軍国主義国家の完全な代弁者になってしまった。もしまだなっていないとしても、これからなろうと努力している。この作品――作品といっていいのだろうか――は、気持ちが悪い。人格改造を受けた後の人間と話しているみたいな薄気味悪さである。なによりもこの文章には、かれが描こうとしたという山口村の村人たちと違って、高潔さというものがまるで感じられない。真実味のかけらもない薄汚い文章だ。

さきほど、このような情況の下では、時流に合わせて生きていくのもやむおえないと作者を弁護した。
しかし実際こういった文章を読まされると胸が悪くなる。

本当にこれは本心なのだろうか。
あまりの変貌ぶりは、実は本心ではちっともなくて、世を忍ぶ仮の姿で、しかしこのとき味わった屈辱は耐えがたく、その復讐として、後年、拓士送出運動に熱心に取り組み、そこいらに住んでいるご立派な農民たちをかたっぱしから過酷な満州に開拓団員として送り込んだのではないかと思えるくらいだ。

もしこれが本心であるとすれば、これから十か月後に打つことになるあの電報も一時の興奮からではなく、心からの願望の現れだったのかもしれない。
もしこれが本心だとしたら、⑫「氷雨」の絶望と⑮「流旅の人々」の衰弱は、二年後に立派な体制翼賛作家を生み出すことに成功したことになる。

いや遡っていえば、20年前の名古屋のセメント工場からはじまった左翼思想を持つ優秀な文学者が、ここにめでたく国家主義作家として変身を終えたことになる。
葉山嘉樹はすでに死んでしまったのであり、もはや読む価値はない。

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