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海に生くる人々(1/2)

葉山 嘉樹
筑摩書房
筑摩現代文学大系36
p494


「日本文学の長い歴史の上ではじめて革命的労働者の生活と闘争が高度な美的表現において描きだされた――これが一九二三年(大正一二)の葉山嘉樹の長編小説『海に行くる人々』である。」(p479)

「日本文学がかつて表現したことのなかった、階級対立の現実の仮借ない追求と、労働者階級のなかからの新しい人間の誕生、その確かな存在を示す人間的な活気と能力と魅力、それと結びついた新しい美、すべてこれらが存分にくりひろげられている」(p487)


社会主義文学における最初で最後の「記念碑的作品」(p488)

と、解説の小田切秀雄は大絶賛であるが、そこまで手放しに誉められるほどの作品とは思えない。

読者を混乱させる語り手の三人称から一人称への突然の転換や、会話の主が誰だかわからなくなるといった技術上の不手際、ドストエフスキーの明らかな模倣――こういったのはささいな点でほほえましいぐらい。料理屋の売春婦の長広舌は十分効果的だし、本家を見習って、もっと延々とやってもらっても大歓迎だ。

一番の欠陥は、社会主義イデオロギーの用語が不自然に、無理矢理はめこまれている点で、これが説教臭くてかなわない。せっかくの物語の世界を損なっているとしか思えない点だ。たとえば中世的世界を舞台にした波瀾万丈の物語を読んでいる最中に、突然キリスト教会のカビ臭い通俗道徳の説教がはさみこまれたようなものだ。

そんなことをいうのは資本主義に毒された堕落したブルジョワジー的感性だとかなんとか、昔なら激しく罵倒されたものらしいが、いま読んでいるのは小説であってマルクスやレーニンの政治パンフレットを読んでいるのではないので、そんなことを言われても困る。

小説は○○主義のプロパガンダであるべきだとか、特定のイデオロギーに奉仕する道具だとか考える者にとってはそういう理屈になるのかもしれないが、小説は、芸術作品とは、そういうものではないだろう。作者がそういうものを目指していたとしても、こうミエミエでは、その試みは失敗に――空中分解に終わっている。

理論は理論、物語は物語、宣伝は宣伝であって、それらをミックスさせて芸術作品として結実させるのは至難の技である。いくらマルクス主義が正しいからと言い張ったって、そうまくはいかないわけだ。

そうしたイデオロギー用語をいっさい使わずに社会的不正義を厳しく糾弾したスタインベックの「怒りの葡萄」(1939年―昭和14)の圧倒的迫力と真実性を思い出してみるべきだ。物語の力のみでなしとげたあの感動に、この作品は及ぶべくもない。葉山嘉樹の「海に生くる人々」は、物語としての完成度が、そういった異物によって妨げられておりこそすれ、けっしてその逆ではない。

それはなぜかというと、物語がさらに対象を追求しなければならないまさにそのところで、いつもこの専門用語が、それ自体で事柄を説明してしまい―物語をそこで止めてしまう。作者がそこで追求をやめてしまうからだ。読者も作者もそこで判断停止におちいってしまうからだ。

作者がさらに踏み込んで描かなければならない地点で、考えなければならない処で、マルクス主義の言葉が持ち出され、それですべてが解決され、描かれてしまったような気になるという――作家としての知的怠惰、不誠実さのためである。つまり肝心なところでマルクス主義によりかかってしまっているのだ。とすれば作家にとってこれほど楽なことはない。登場人物とってもこれはラクチンだ。読者にとっても同じ。

悪いことはすべて階級対立に収斂される。

オレはなぜ失恋したんだろう――資本家と労働者の階級対立のためだ。
オレはなぜモテないんだろう――階級対立のためだ。
オレはなぜニートなんだろう――階級対立のためだ。

おれはなぜ一日二〇時間もゲームをしているんだろう――階級対立のためだ!
いや、オマエが怠け者だからだよ。全然関係ないとは言わんけど。


海に生くる人々 (岩波文庫)
海に生くる人々(青空文庫からダウンロード)

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